実中時代

小県郡東部実科中等学校 

<沿 革> 

大正12年~昭和15年(1923~1940)17年間



大正12.4.15(1923)
・小県郡東部4か村(県・祢津・和・滋野)学校組合設置。
大正12.4.16
・「小県郡東部実科中等学校」開校。
大正12.6.1
・柳沢平助校長事務取扱就任。
大正12.12.31
・柳沢平助初代校長就任。
大正13.8.10 (1924) 

・柳沢七五三治2代校長就任。
大正15.12.10 (1926) 
・山浦政3代校長就任。

昭和4.1.31(1929) 

・御大典記念事業として記念館竣工(裁縫・作法室)。
昭和5.4.19 (1930) 

・奈良原道場開設。
昭和8.3.3

・文部大臣より優良校として表彰される。

<主な歴史背景>
明治27年(1894) 日清戦争

明治35年(1902) 日英同盟
明治37年(1904) 日露戦争
明治43年(1910) 韓国併合
大正3年(1914) 第一次世界大戦
大正7年(1918) 米騒動
大正12年(1923) 関東大震災








大正14年(1925) ラジオ局(NHK)開局

大正16年(1927) 金融恐慌



昭和6年(1931) 満州事変
昭和7年(1932) 五・一五事件
 


昭和11年(1936) 二・二六事件
昭和12年(1937) 日中戦争
昭和14年(1939)第二次世界大戦勃発
 

実科中等学校

時代の流れの中で戦前の先人達は自立した国造りの一環として農業、工業,商業技術の発達に伴い実学への要望の高まりとともに知識だけでなく実際に行って実用的な技術を学ぶ科目を行ってきました。実科学校はドイツ、スイス、オーストリア、デンマーク、ノウルウェー等を中心にヨーロッパ諸国に取り入れられていました。

奈良原農場・修道場(昭和5年~)

修道場について

修道場のあった場所の周辺は奈良・平安時代に国牧勅(使牧)新張の牧のあった時代の中心地だった所だと思われます。豪族祢津氏が支配した牧場で望月の牧とともに名が知られていたところです。修道場の西北には枡石と言う大きな石が有りその中心部分に野球のホームベース板の形をした10cmぐらい掘られています。その大きい石の周りを土で盛ってあり、どうも神を祀ってあったようです。その場所より北側に牧寄という地名が残っており 馬を集めておいた場所です。
 小県東部高等学校は大正12年4月16日小県東部実科中等学校が開校。大正15年12月に山浦政先生が3代の校長に就任。昭和5年農村不況の打開を念頭に奈良原に修「道場」を開設し開墾と修養により農村の青年育成を志す。

作物はソバ、大豆を作る。ソバは有る年は天皇に献上したとも聞く。戦後はジャガイモが主で、麦類やソバは少なかったようです。 
戦争中の冬は木を切り炭を焼いたとも。その炭を炭小屋から下の方に有った炭倉庫まで運ぶ作業なども行う。泊まりは修道場でそこには炊事が出来る所があり、薪を燃やして御飯、味噌汁など自分たちで作った。その材料は各自、米、味噌、野菜を持って行った。
昭和35・36年になると農業科がなくなる頃で、今の高校で牛を飼育していたので冬の餌になるモロコシを作っていた。風呂は昭和15年頃、奈良原温泉に行き、夜、寝る前は座禅をしてから寝たそうです。 
五輪の塔は西側に行った畑の高台にあり、現在は高校の校舎の北西に置かれている.山浦校長先生が修道場で働いた若い青年たちが戦争で戦死などした人々の為に供養のために建立したとか聞いていますが、よく調べてください。

東御清翔高校同窓会報第35号掲載より 

佐藤 利明(昭和35年)